今週よりベトナム南部最新情報始めます。
これから行こうと計画している方は必見!
2001年7月10日
17時30分定刻どおり成田を出発し、21時にホーチミンのタンソニヤット空港に
無事到着。5年ぶりのベトナム、いったいどれぐらい変わったのか期待に胸膨らま
せ空港の外へ出たとたん、タクシーの執拗な呼び込みにあう。悪質なタクシー
ドライバーを振り切り、タクシー乗り場のタクシーにすばやく乗り込みホテルをめ
ざす。途中の道は原付バイクが道いっぱいにあふれ、行く手を阻む。
『ベトナムにかえってきたんだ』
ここまでは5年前と変わりなし。
2001年7月11日
朝8時にハイバーチュンストリートにあるホテルボンセン2をタクシーに乗り出発。
ライスペーパー製造の盛んな町クチをめざす。が、ホーチミン市内を出るのに
かなりてこずる。というのは、朝の通勤ラッシュと5年前にはあまり見かけなかった
自動車がかなりの数走っており、その隙間をバイクと自転車(それも2~4人乗り
あ~こわい)がぬうように走るのだから、、、
約1時間ほどでやっとこ市内を出ると、それまでの喧騒がウソのように静か。
車両も極端に減り道路の両側は田畑が広がりとってものどか。
自転車の4人乗り。お父さんが運転し前に女の子を一人乗せ
後ろでお母さんが赤ん坊を抱いたまま乗る。怖過ぎる。
ホーチミン市内の道路。自動車、バイク、自転車が入り乱れながら走るから非常に危険。
ドライバーがクラクションを鳴らし続けてもだれも道を譲らないだから、、、
クチの田園地帯。ホーチミンを出ればこんなのどかな風景に会える。ここクチでは二期作が可能。
水牛は田畑を耕すための大切な労働力。とても懐かしく感じる風景で、癒される。
クチのいたるところで作られるライスペーパーは、奥様方の内職。自宅近くの小屋の中で
一定の大きさで蒸してから竹網の上で天日干し。2時間ほどで乾けばできあがり。
蒸し鍋の上に布をピンとはり、その上で薄く塗りつけ蓋をし蒸すこと20秒。
蒸しあがれば手早く竹網に貼り付ける
乾いたライスペーパーの取り外しを手伝う子供たち
2001年7月11日夕方
熱帯のお昼時は、肌に突き刺さるような日差しが降り注いでくるので、いったん
ホテルへ戻り難を逃れる。そして、夕方5時に再始動、徒歩でサイゴン川を
めざす。ホテルを一歩でると、うるさいシクロが次々と声をかけてくるし、道路
は相変わらず自動車とバイクの音で頭がどうにかなりそう。
しかし、川のほとりに来るとウソのように静か。
川辺は家族連れとカップルだらけ、その何組かに声をかけ、なぜここへくるのか
たずねると、皆一様に“街中があまりにうるさいので”という答えがかえってきた。
地元の人にとっても自動車とバイクの騒音はかなりのストレスになるようだ。
家族もカップルも原付バイクで川にやってくる。今や原付バイクはなくてはならない庶民の足。
夕方6時ごろになるとサイゴン川の船着場にはディナークルーズ船が5~6隻停泊してお客を待つ。
レストラン“マキシム”の歌謡ショー。ホーチミン市内のいくつかのレストランでは民族舞踊、
歌謡ショーが連日ひらかれている。
夜の楽しみのひとつ屋台。いろいろな食べ物屋台が街のいたるところで見られる。
写真の屋台はタロイモを蒸したもの。
ホーチミン名物夜のバイク群。
2001年7月12日
ブンタウに向けて朝7時にホーチミンを出発。相変わらず日差しは強くサングラスなし
に風景をみるのがつらい。風景を見るのもあきてきたというのもあり、
スローガンらしきものが書かれた看板が気にな
りだした。が、ベトナム語が全くわから
ない私は看板が視界にあるあいだに通訳に尋ね意味を聞くも、こちらが予想していた
答えが返ってきたのでこれまたつまらない。ちなみにひとつのスローガンの訳は、
“個人が社会主義を理解 実行し、社会発展に貢献する義務をもつ”
ということらしい。現実とはちょっと、、、、、
この国の理想と現実のギャップについてボーッと考えているうちに(約2時間30分)
ブンタウのバイタンマリーナに到着。
もっとせまいちっぽけなビーチを予想していたのだが、とんでもなく広い。そしてなにより砂浜が美しい。
ベトナムでコーヒーといえばエスプレッソ。夏でも涼しい日影でちょっと一杯飲むと、暑さが吹っ飛ぶ。
ブンタウに来る楽しみのひとつに新鮮な海の幸をふんだんに使った料理がある。カニは生きたものを年中
食べられるし、日本ではお目にかかれない魚介類がでてくる。ちなみに写真の料理は、
ソー・フィット・トゥ・スイ(貝のみそいため)、クワァ・ラン・メ(カニのまるいため)
どちらも臭みがなく甘辛くくせになる味。
タイほど盛んではないが、仏教信者の多さがうかがえる建物などをよく見かける。ここブンタウでは
涅槃像と釈迦座像が有名だ。
ブンタウからビンチャウへ向かう途中。農道は舗装されておらず、通るのは原付バイクと自転車ばかりで、道の
両側はすべて田んぼ。まるで昔の日本の田舎を見ているようで、とても懐かしかった。
2001年7月13日
今回最大のお楽しみメコンデルタに向けてホテルを7時30分AMに出発。
久しぶりにワクワク気分で車に乗り込む。
しかし、ホーチミン市内の道路は相変わらずの渋滞で、もうウンザリ。
そして我慢すること1時間、車はまた田舎道を快適に走り2時間でホーチミンと
カント-の中継地点ミト-に到着。
9時30分 ミト-でちょっと遅い朝食。ベトナムの朝はライスヌードル“フォー”で始まる。
フォーはどこでもあっさり薄味で出され、好みに応じて、みそ、醤油、生野菜(ミント、
モヤシ、唐辛子など)を加えて、そして最後に必ずライムをしぼり上からかけて出来上がり。
味はというと、(調味料をかなり加えても)かなりあっさりしていて、舌がしびれそうな
ぐらいの化学調味料〇〇〇味が入っているようで日本のラーメンとはかなり違った味だ。
オープンカフェ&レストランに入っていると必ず物売りがやってきて、目の前に買って欲しいものを
さしだししばらくじっと立っている。で、売ろうとしているものが宝くじやガムなど不要なものばかり
なので、こちらも困ってしまう。しかし、ここミト-では、ちょっとめずらしいものをめっけて、久々に
好奇心がわいて、買ってしまった。上の写真がそれ。バンジュオとよばれるチマキのようなもので
中はもち米、豚肉、バナナ、ココナッツをまぜて、外側をバナナの皮でぐるぐるまき蒸し上げてある
ようだ。あまーい餅といったところかな。
朝食を済ませ、また車に乗り込みカント-をめざす。
カント-に近づく(南下)につれ、ヤシの木が多くなり、空の雲もかなり低く
陽射しはさらに強くなり、南国ムードたっぷり。そして、ミト-から車で走る
こと1時間で、今回の旅行のめだまのひとつ“ミートゥン橋”にさしかかる。
ミト-からカント-に通ずる道
オーストラリアの援助により、2000年4月開通したミートゥン橋。メコン川支流のまえ川にかかる全長1,500mの
つり橋だ。以前は対岸をフェリーで往来していたので、フェリー待ち時間に1時間以上かかることもあった。
歩いて渡ることも可能なので、フェリーも渡し舟も必要なくなり、ある意味少し旅情が薄れた感もあるが、
メコンデルタを一望できる新観光スポットが生まれた。
特に橋の中央から見る上流の風景は最高で、この雄大さを写真で表現できないのがとても残念。
2001年7月13日
ミートゥン橋を渡り、車で30分ほど走るともうひとつメコンの大きな支流(うしろ川)がある。
ここにはまだ橋はなくフェリーで渡るのだが、フェリーの待ち時間がシーズンや時間帯に
よってかなり待ち時間を要する場合があるという。今回私は15分程度の待ち時間で
乗れたのでラッキーとのこと。
ホーチミンから車にのること4時間45分でカント-に到着。
カント-の中心街は以外と静かだ。ホーチミンに比べてバイクの数が少なく、街中を歩いていてホーチミンの
ように危険を感じたりというような緊張感もない。上の写真は、リバーサイドのインターナショナルホテル5階の
ゲストルームからの風景。ストリートには車やバイクがあまり走っていない。川の交通のほうがさかんなようだ。
リバーサイドのニンキュウレストランで昼食。ゆっくりと静かに行き交う船をボーッと眺めながら、ビール片手に
蒸しエビをつまむ。あ~しあわせ。
食後の散歩にはあまりむいてないんだけど、市場へと足を運ぶ。で、まずはフルーツ売場から探検開始する。
と、あるわあるわフルーツの山。量もすごいが種類も多いのでビックリ。そして、なにより驚かされたのが、
その入り口からは想像がつかないぐらい中は広くゴチャゴチャしている。フルーツの次は野菜、精肉、魚介、
お菓子、衣料に雑貨なーんでもある。人一人通るのがやっとの通路がまるで迷路のようになっていて、道案内
なしでは迷子にになってしまいそうな市場。
カント-市場の船着場には物資を運びこむ船が絶え間なくやってくるのだが、それに混じって対岸から通勤
や買い物にくる人々も小船に乗ってやってくる。この市場は生活の全てを支えているようだ。
手漕ぎボートに乗ってメコンクルーズ。大きな支流から狭い支流へと奥深く入っていくとデルタ地帯特有の
熱帯雨林と川と共に暮らす人々の生活が見えてきた。
メコンの夕暮れ午後5時
カント-にはまだ半日しか滞在していないのだが、多くの物を見ることができたし、川沿い
のニンキュウ公園をひとりブラブラしていたら多くのひとから声をかけられ、いろんな話
を聞くことができ満足満足。
2001年7月14日
昨夜は(インタ-ナショナルホテルの5階に宿泊)6階のカラオケがうるさくて一睡も
できないまま朝をむかえた。とても眠れる状況では、、、、
朝の5時、部屋の窓からニンキュウ公園を見ると、ウォーキングする人の姿がちらほらと
そして時間がたつにつれて人の数はどんどんと増え、5時30分には園内も園前の路上も
運動をする人でいっぱい。カント-の人々は(マーケットで働く以外の人々も)皆早起き
なのかな。
美しいメコンの夜明け(午前5時20分)、朝陽で赤く染まったキャンバス(川面)の上を船が静かに通り過ぎてゆく。
午前6時の園前。路上で蹴羽根を楽しむ人々。
ホテルを6時に出発し今回の旅行の最大の目的、フンフィップの水上マーケットをめざす。
マーケットがいちばん活気付くのは7時頃とのことなので、コーディネーターとドライバー
は(前日から体調が悪いにもかかわらず)その時刻に遅れることなく私をおくってくれた。
そんな二人に感謝しながらフンフィップにつくやいなや小船に乗り込み、船同士で売買
をする間近へと向かった。
マーケットといっても小船で自由に動き回るので、間近で見物するためにはこちらも小船にのる必要がある。
そしてこちらも小船で近づき、まずは手をふりあいさつしてカメラをむけると大半の人が笑顔でこたえてくれた。
もっと無愛想な反応がかえってくると思っていた私にとっては驚きだった。太陽の下で船で自由に動き、
自由に商売をする人々の心の余裕の表れ?とにかく間近でみるマーケットの姿は活気に満ちていた。
2001年7月14日
(今回は水上マーケットの様子を写真で紹介します。)
マーケット内を船で見回っていて最も気になった光景は、以外に多くの子供たちが親のすぐ側で手伝いをしたり
子守りをしていたことだった。ガイドの話では、大型船でくる商人は家族全員で移動しながら船内で生活をして
いるとのこと。
私が最も羨ましく思った光景。子連れで仕事をする親の姿。皆イキイキとした表情が印象的だった。
朝食をとれる場所もあるが、忙しい人には船ですぐ側まで売りにきてくれるほうが便利だ。そしてここでも
サンドイッチのパンは、あのカタ~イ フランスパン。
活気ある水上マーケットの風景。
この水上マーケットで撮れた唯一の絵になる一枚。
ベトナムといえば、手漕ぎボートにのる菅笠をかぶる女性をイメージする人は多い。特に水上マーケットでは
圧倒的に女性が多く目に付いたし、ボートを漕ぐその姿は力強く、そして魅力的だった。
2001年7月14日
フンフィップの水上マーケットを8時に出発。もう一度カント-の中心街へ戻り朝食を
とりホーチミンへむかう。が、行きとは打って変ってメコン川のフェリー待ちで1時間半
も埠頭にくぎづけ。昨夜一睡も出来なかったこともあって、車内でウトウト。
帰りはいつになったらホーチミンにつくのやら と心配したが、川を渡った後は
快適ドライブで何事もなくホーチミンを目指す。このフェリーで川を渡るという作業
が、時間がよめないのでやや厄介だがここに橋がかかれば、水上マーケットが存続
しなくなるかもしれないので、このままであって欲しいと思う旅行者の勝手な願望が
わいてきた。が、どうやらこの川にも数年後には橋がかかるらしい。
その時、水上マーケットは残っているのだろうか。チョット心配。
カント-から1時間ほど走って、車を止めて第2の目的メコンデルタの稲作を見学。
ちょうどお昼時だったので、農作業を一時中断して昼食に戻ってきた夫婦に話を
聞くことができた。で、田植えの時期について質問してみると、決まっていないとの
答えが返ってきた。確かに稲の発育状況が場所によってかなり違っていた。
1年を通して気温の変化があまりない地域ならでは。
とにかく広い。見渡す限り全て稲作畑、遠くの風景だけを見ているとまるで大草原。ここでは
年3回の収穫が可能とのこと、つまり3期作。このメコンデルタだけでいったいどれだけの米が
収穫できるんだろう?
2001年7月15日
急速な変化をしつづけるホーチミン。5年前と比べて高層ビルが立ち並び自動車・バイクの数
と種類が恐ろしいほど増えている。特に自動車は5年前とはくらべものにならないぐらいの数
である。そういえば5年前はタクシーといえば、しつこくつきまとうバイクタクシーかシクロが定番
だったような気がする。今は自動車タクシーの数も増え値段もそう高くないので利用しやすく
なり、とても便利かつ少ーし安全な移動が可能になった。便利といえばここにもインターネット
は普及しているようで、街のいたるところでインターネットカフェを見かけた。試しに一軒入って
みたが、日本語での使用も可能だし自宅へメールも送れた。おそろしいぐらいなにもかもが
便利になっている。便利になった反面(街が整然としすぎて)面白みがなくなっているのでは
と考え、5年前に通った道をたどることにした。そして、ホテルを出たとたん懐かしい顔に会った。
5年前に私を乗っけてくれたシクロドライバー。泊まっているホテルの前でばったり。彼は私をよく覚えてくれてた。
5年ぶりの再会を互いに喜びあい、彼のシクロに乗りベンタンマーケットを目指す。途中昼飯を食べに入ったレストラン
で仕事のことを尋ねたが、やはり自動車タクシーが増えたおかげでシクロを利用する客は減ったようだ。
ここ数年で古い建物が少なくなっていると聞いて、真っ先に向かった場所。まだあったベンタンマーケット近くの
ヨーロッパ調の古い建物。この建物と菅笠をかぶった人を見た時、最もベトナムらしさを感じる。でも老朽化がかなり
すすんでいるこの建物もそう長くはないのでは、、、
露天で麺やお菓子を売る女性たち。街のいたるところで見かける。安くてとても便利なので、店に入るのが煩わし
いめんどくさがりやの私はよくお世話になりました。でも違法なので警察の気配したら一瞬で店をたたんんで逃げ
てっちゃいます。以前何度か勘定を払う前に露店主に逃げられたことが、、、食い逃げ ならぬ 渡し逃げ
露店の珍味マンゴスチンと焼きバナナのチュイヌゥン。チュイヌゥンは軽くて小さく折りたためるので、携帯しやすく
バナナチップより柔らかくパリパリしていて食べやすい。味は生バナナよりやや甘いといった感じ。
2001年7月15日
今年の夏はホーチミンより日本のほうが暑いようだが(前橋39度というニュースが入ってきました)、
日中の暑さはやはりホーチミンのほうがやや上という感じがする。雨期真っ只中の7月は8時を過ぎ
る頃には陽射しは肌につきささるように降り注いでくるし、湿度も高い。帽子をかぶっても外を歩くの
は1時間が限界。そういえば5年前もこの時期にホーチミンに滞在していたが、やはり長時間の外出
で体調を崩したっけ。今回は昼食後はできるかぎり宿泊中のホテルに戻りシエスタ。
本日は午後2時に再始動、古き良きホーチミンを求めチョロン地区へ向かう。
タクシーに乗ってチョロンのビンタイマーケット前で降ろしてもらうと、独特のニオイと古い景色が襲いかかってきた。
おまけにしつこーく強引なシクロの客引きまでがまつわりついてくる。これで、ベトナムに来たーッて感じがしてきた。
で、さっそくビンタイマーケットの中へ。中は5年前と全く変わりなし。衣料、雑貨の小さな店がひしめきあい、商品が
通路にまで溢れており、人一人通るのがやっと。店の境界線もはっきりわからないし、商品なのか私物なのかわから
ないぐらい中はグチャグチャ。見るだけでも楽しめる。
ビンタイマーケットのまわりの風景。古い建物も多く、街のいたるところに市場があるのだが昔ながらといった感が
ある。シクロも中心部では観光用でしかないが、ここでは、生活の足となっている。
チョロンの鳥市場。かわいそうに、いや、おいしそうなアヒルと鶏が生きたまま売られている。ここは観光コースにも
なっているようで、欧米人の団体さんがぞろぞろと歩いていたが、けっこう大喜びしている姿が見られた。日本人客
にはちょっとキツイかも。
市場をぬけ、チョロンの路地をカメラに収めていたら、10メートルほど先の店内で酒盛りをしていた8~10人の男達が
私に向かって手招き。(言葉は通じないのだが)どうもいっしょに飲もうと誘っているいるようなので、おことばにあまえ
ごちそうになる。得体の知れない外国人を中に入れ平気で酒盛りをする彼らの陽気さには驚かされた。
チョロン地区(中華街)では、古いものが多く見学でき(お酒もごちそうになったので)ごきげんの
一日だった。