(このページでは、過去20年間で撮った中から毎週一枚をご紹介致します。)

1993年8月9日

吉野熊野国立公園大台ケ原山にて撮影

 紀伊半島の奥深い山中、吉野熊野国立公園内の北側、標高1600mに位置する大台ケ原山。ここは

日本一雨の多い場所で、年間平均雨量が4800ミリにも達するとのこと。写真の風景は東大台トウヒの

林、あまり日の当らないこの林床には、コケ類が一面に広がっている。コケは倒木上にも生え、あたり

は緑一色、死んだ木までが生き返ったかのようにうつる。夏だというのに肌寒くて、気味が悪い。

でもなぜだろう、この場所にひかれるのは、、、

思い起こせば最初にこの地を訪れたのが、8年前(1985年)の夏であった。その時は気味悪くて写真

も撮らずに帰ったっけなー。その時撮れなかった悔しい思いから、舞い戻ってきたんですが、この日か

ら私は大台ケ原のとりこになりました。それは、ここの自然にしか作り出せない造形・色彩美があること

に(ちょっと歳とって)気付いたからでしょうね。

 


 

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1993年8月9日

吉野熊野国立公園大台ケ原山にて撮影

一年の約3分の2が雨の日。この日も小雨のせいで、遠くの風景はかすんでよく見えないが、この森の

木々を撮影するにはうってつけ。雨にぬれているほうが、この森は生きてるって感じがする。上の写真

の木は、今は穴になっている部分まで、以前は土があったんだろうか?それにしても不思議な形をした

木だ。まるで別世界を見るための覗き眼鏡の役割りでもしているかのよう。

 


 

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1993年10月3日

吉野熊野国立公園大台ケ原山にて撮影

上の写真の光景を初めて見た時、私は我が目を疑った。死んだ木とその間から生え出した木が一体と

なり、まるでひとつの生命体のように見えた。私がこの大台ケ原でいちばん気味悪く印象的な風景です。

この周囲には、倒木がいたるところにあり、その間をぬうかのように新しい木が生えている。

 そして、気になる事がひとつ、写真にも写っているように下部の樹皮のない木が(この年は)目立った

ように思った。どうも餌に困った鹿の仕業のようです。樹皮のなくなった木はもちろん枯れていつかは倒

れるでしょう。これは自然なことなのか、それとも人的な何かが加わったから起きたことなのか。ちょっと

気になりました。

 


 

1993年10月4日

<吉野熊野国立公園大台ケ原山の正木が原にて撮影>

一年を通じて最も一般入山者の多い季節。

一年中雨が降っているような場所だけに、晴れた時の風景は、まるで別世界だ。上にある写真の風景も枯れ木が

生きているかのように、青い空に向かってたっている。曇りや雨の日に、この正木が原を歩いていると、まるで死

の森の中をさまよっているかのような感じを受けるのに。

山一体に広がるイトザサの中には、多くの倒木がころがっていて、行く手を阻む。特に雨の日はすべりやすく、

下山するのが困難である。そんな最悪の場所で見るからこそ、快晴の風景はすばらしく感じるのかも。

 


 

1993年5月3日撮影

<吉野熊野国立公園大台ケ原山牛石ヶ原にて撮影>

5月といっても曇れば3月下旬なみの肌寒い気候。あたりの風景も見る限り、春はもう少し先

といった感じである。そのようなあまり良くない天候の下で撮ったのが、上の写真です。まるで

カミナリでも落ちて、割れてしまったような木。立ち枯れしている木は他にもたくさんあるのです

が、この木は、その中で最も異様な雰囲気がありました。その異様さとは、他の立ち枯れの木

は、晴れた太陽の下で撮影したものがベストだったのに対して、この木は、晴れた日に撮影

したものより、曇ったほうが、その形や雰囲気をよく伝えているように見えました。

この牛石ヶ原は、”一本ただら”という妖怪伝説のある場所としても有名であり、深い森の中を

抜けて広がる笹原である。霧で視界の悪い日は、おとぎの国にでもいるかのような気にさせる

場所です。

 


1995年8月21日撮影

<吉野熊野国立公園 大台ヶ原山 正木ヶ原にて撮影>

 夏真っ盛りの午後、下界の気温は30度を超えているはず。とても外を歩く気にはならないだろう。

でも、この大台ケ原山の上では、(温度計はないけれど)晴れていれば25度ぐらいだろうか。少し風が吹

けば、とても快適だ。大台山の家から正木が原までは、約4kmの道のりだが、(カメラと三脚もあるけれど)

全く苦にならない。写真の空を見れば、その爽快感が伝わるはず。

ところで、写真の木は、立ち枯れし枝が落ち、今の形になった。まるで人が手を広げ立っているかのよう。

残っている枝が、風の向きを示しているかのようでもある。この正木が原の倒木は、どれもが風景とマッチ

し、生きているかのようだ。そして、いちばんの興味は、この木が来年の夏には、どんな形になっているの

かということ。

 


1993年8月9日撮影

<吉野熊野国立公園 大台ケ原山 苔観賞路>

 真夏だというのに、台風の接近で、冷たい雨が降り続き肌寒い。ハイキングには、ちょっとどうかと思う

天候状態だ。しかし、この苔観賞路の風景は雨のほうが、私の目にはイキイキとうつる。写真の風景も

霧雨の降る中での撮影なのに、そんな感じがしない。ここは、毎回宿泊する大台山の家からも近く、どんな

大雨の日でも、必ず一度は足をはこぶ場所。ここを観察することで、この山全体の将来が、少し想像でき

る。で、私の予測は、あと10数年で苔がなくなってしまうのでは、、、

 


1993年10月4日撮影               1995年8月21日撮影

<吉野熊野国立公園 大台ケ原山 正木ヶ原>

 2年前の秋に撮影した時、『なんてうまく倒れてるんだ!』と関心しました。倒れている木の周囲には、ささ

えている木以外は何もないのです。まるで倒れるのを拒むかのように、となりの木によりかかっていると

いった感じでした。この写真を撮って帰ってから、『あの木はまだ折れてないだろうか』と、気になって仕方

がないのです。で、2年経って、右の写真の姿になったのを目の当たりにした時は、『よくがんばったね』と

声をかけたい気持ちになりました。既に死んでいる木ではありますが、まだ命がやどっているかのようで、

とても気をひく木です。

 


1993年10月4日撮影

<吉野熊野国立公園 大台ケ原山>

 この日は朝から晩まで、かなり多くの鹿を見かけた。彼らが、樹皮を食べまくり、トウヒの森の破壊に一役

かっている。といっても、彼らが悪いわけではない。特にこの年は、天候不良で山に食べ物がないようだ。

そして、その天候不良をまねいた原因は、というと、、、、

とにかく、ものすごい勢いで食べまくる鹿たちの姿は、自然とは言いがたいものでした。とても恐ろしい光景

でした。

 


1993年10月2日午後5時45分撮影

吉野熊野国立公園の夕暮れ>

 近鉄奈良線の大和上市駅からバスでゆられること約2時間、大台ケ原山に午後5時到着。急いで山の家

に駆け込み二階から吉野熊野国立公園の山並みを撮影。

1993年10月4日午前6時30分撮影

<吉野熊野国立公園の夜明け>

 一昨日の夕方と同じ場所から、同じ風景を撮影。

“大台山の家”の二階の窓から風景を眺めていると、一時ではありますが、都会の生活忘れさせてくれます。

遠くのほうまで、ずうっーと山しか目に入ってこない。おなじ風景でも時間がたてば、全く違う風景となり、見る

ものを楽しませてくれる。そして、なによりも美しい。この風景をじっと見ていると、しぜんと思考が停止し、都会

では味わえない独特のフィーリングと時間が流れる。私が癒されるということでしょうか。