2004年7月21日

晴れ 大連→通遼
内モンゴルの玄関口 通遼へむけて出発。
大連駅AM7:49発 通遼行きの列車に乗るために、ホテルを7:10に出発。
駅は目と鼻の先だが子供と大荷物をもっての移動なのでかなりたいへん。
おまけに駅構内は荷物検査があり、ホームに降りれるのは出発間際なので
待合所の人ごみの中で待つこと20分。改札が始まると中国式の乗車開始。
重いバッグをもって子供を引き連れ押し合いながらホームへと急ぐ、そし
て最後の大仕事、ホームより1mほど高いところにある車中に荷物を上げて
ひとまずはオーケー。クーラーのきいた客室に入ったとたん滝のような汗が。
列車はオンタイムで大連駅を発車し、数分後 車掌が切符を一旦回収と
乗客名簿つけのために客室内にやってきた。パスポートチェックと現住所を
聞いて立ち去った。12時間の長旅の始まりです。

 

軟座のコンパートメントは硬座の乗客が入ってこれないので静かで安全。

2004年7月20日

晴れ 大連29℃
 北京時間7時半に起床し、朝食をとりホテルを出発。外は東京と比べて
かなり涼しく(ちなみに本日のニュースで東京は39℃を記録)快適な気候
なのだが、排気ガスのせいなのか何なのかわからないが、ガスっていて
視界も空気も悪く、喘息もちの私は咳が止まらない。
午前の涼しいうちに子供のいちばんのお楽しみである水族館に向かう。
大連の水族館はアジアでは五本の指にはいる規模とのことなので私も
かなり楽しみにしていたのだが、結果はガッカリ。入場料も大人120元
とお高いし、内容も品川や池袋のそれと比べてかなり落ちるような感じ
をうけた。とにかく箱が大きいだけ。
午後1時にまず~い昼食をとり、いったんホテルに戻り息子は宿題、妻は
買い物、私はインターネットでメールのチェック。
夕方5時、大連の繁華街を一人で散策する。駅の周辺は真新しい高層ビル群
と大規模なショッピングモールがあちらこちらにあり、まるで東京を歩いて
いるような錯覚をおこした。ただし、百貨店内にいる人はまばら、というより
開店休業のような人入りでした。

 

大連は予想以上に都会だ。

2004年7月19日

晴れ 東京27℃(9:30) 大連26℃(20:30)
 相変わらず関東の朝は暑く寝苦しい。5時には目が覚め、以後眠れず。
妻子は夕方17時のフライトにもかかわらず、9時半には出発したいと言う
ので、重い体を引きずりながらタクシーに乗り込み いざ 空港へ。
 空港は夏休みが始まったばかりとあって混雑ぎみ。子供は待ちくたびれ
てご機嫌ナナメ。しかし、フライト直前にキッズルームに入って大暴れし
ストレス発散。
 4時半機内に入り「さあ、飛ぶぞ!」と子供に言って二人して喜ぶも機体
に故障が見つかり機内で2時間足止め。私の疲れはピークに達する。
 7時10分やっとこさ飛び発ち ひとまず安心。水平飛行にはいってすぐ
に食事が運ばれてきて子供は大喜び。これで落ち着けるとビールに手がかか
るやいなや 子「パパ、オシッコ」 私「がまんしなさい!」
子「もれるよー!」食事を妻にあずけ子供をトイレに連れて行く。もう一度
席について食事をするも食べたのか食べてないのかわからないうちに回収。
 北京時刻20時半 大連空港到着 私はすでにクタクタ。
子供はまだまだ元気。

 

初めて間近でみたジャンボジェット。

2004年7月18日

快晴(というより悪晴) 最高気温34℃
 連日30℃以上の暑ーい日が続いている。日中、外を歩いているだけで
疲れてしまい、家の中に入ればエアコンをかけっぱなしで、ぐったりと
ソファにねっころがってテレビをぼーっとながめているだけの生活。
なんと健全な夏。
そんな暑さの中で、妻は明日からの旅行の準備に追われ、息子は夏休み
の課題と公園での遊びで大忙しです。
明日から初めての家族旅行で中国へ行くというのに、夜になってもなん
にも準備ができずにいる私を看かねた妻は、しぶしぶ三人の荷物を準備。

 

息子にとって初めての家族で行く長期旅行。好きなものだけ入れて準備万端!

2004年6月7日

昨年11月の更新を最後に止まっていたこのページ。半年経ってやっと
更新のはこびとなりました。この間、何をしていたかというと、3月まで
は子供の入学準備に明け暮れ、4月からは子供の宿題の手伝いで
四苦八苦の毎日,勉強嫌いの私にとっては苦痛の日々でした。
この苦痛はしばらく続きそう。仕事にも少なからずや影響が出てる
ので、夏の終わり頃が、少々心配です。
心身共に疲れているそんな中で、気分転換を図ろうとカメラを持って
久しぶりに外へと出かけた。

  

今春は桜も満足に見れずじまい。気づけばツツジも終わりアジサイの季節になってました。
関東地方は今日から入梅。